始め精神は、何も意識的に捉え無かったのだ。所謂偶然の二者の接近から、或る特別の光――心象の光――が閃いたのであり、私たちは限り無くこの光を鋭く感ずる。閃光の美しさが、心象の価値を左右する。故に二伝導体間の電位差に依存するのである。
――ブルトン『シュルレアリスム宣言』
1
歴史が好きなだけなら歴史家になる必要はない。歴史もまた學藝のひとつの相である。歴史家は何を遣るか。無論歴史用語を覚えて済ましているのではない。これは歴史は暗記科目ではないとかいう、予備校講師の一種の戯言でなくって本質的なことである。簡単に言うのであれば、歴史家は教科書を読むのではない。書くのである。
そもそも歴史とは何であろうか。ただ単に過去の事実を羅列したものでないことは確かである。例えば先日私は友人と池袋に行って明太子を喰ったり古着を冷やかしたりして来た。これは確かに意識の上では過去のことである。また天正10年6月2日明朝、水色桔梗紋の旗のたなびいて、本能寺に火の手が上がったのも過去のことである。しかし一方はただ休日となり、一方は歴史となっている。この現実をなぜかと問うことはナンセンスではない。
現今の義務教育の第一の目的は民主主義の機能化と国民国家の延命であろう。よって歴史教科書はこの両者を達する為に書かれていると言ってよい。民主主義礼讃、国民国家礼讃。こういう姿勢が歴史教科書にはよく現れている。いわばこれは中央政府にとっての歴史である。この歴史が好きな者は歴史家にならなくていい。ただ読むだけで楽しんでいればいいのだ。しかし、これもひとつの現実である。
同様に、現今の絵画芸術に満足している者は画家になり切れないであろう。これは決して悲劇ではなくして幸運である。抽象画を見詰めて分かった顔をしていればいいのだ。こういうことは、歴史家の筆力とか画家の画力以上に重要なもののように思われる。不愉快だから遣るのだ。しかしこの不愉快は対象それ自体へのものというより寧ろ、生全体に対するものかもしれない。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
(夏目漱石『草枕』岩波書店)
夏目漱石の『草枕』の冒頭にあるこの一節ほど、學藝を内在的によく表した文章があっただろうか。
2
私は學藝という語を、ひとつの現実という意味で用いるつもりでいる。不愉快である限り、學藝という営みは生まれうる。そうして人間は不愉快であることを宿命附けられている。
愉快であるとは如何なるときか。漫才を見て笑う、散歩に春の麗らかな香をかぐ、感動する話をきいて泣く。これらは全て、少なくともそのときには愉快をもよおす。入力があってほとんど直ぐに出力がある。作用に対する反作用がほとんど時をまたずに起こる。すると人間行動の中で最も愉快なものは反射である。熱い鍋に触れて知覚する前に手を引く、暗闇で瞳孔が大きく開く。これを発展させれば物質ほど愉快なものはないことになる。珈琲のグラスは机の上で速度0の等速直線運動をしている。しかし反射や物質を愉快と形容したところで、ナンセンスでしかない。
「無意味に思えることも、後から意味が分かる」という理不尽の押し付けときこえる台詞は、しかし、ナンセンスではない。例えばある音楽を聴いたとき、はじめはそのよさが分からず、二度目、三度目と聴く内に、段段とよさが分かってくる。文学でも映画でも、その中味がはじめ共感できないことは往々にしてある。これは分かり切ったことが綿々と面白そうに描いてあるのを見て、軽薄を感じるということを指すのではない。意味あり気ながら自身とあまりに乖離しているかのように感じられるもののことである。そういう物語が、ある人生上の経験をした後になって段々と重要な意味を帯びてくることがある。これらはごく分かり易い例であるが、我々の中には入力されたが出力されないままであるものが無数にある。ベルクソンを引き合いに出すまでもなく、日常経験からして私たちは分かっている。
これは入力された事物が非常に不愉快な宙吊り状態に留め置かれてあるということを意味している。こういう宙吊り状態のものは、言葉にならぬよく分からない形で、いや明確な形さえとらずに、私たちの中にわだかまる。それはあたかも霞のようなものである。これが人間の情緒というものであろう。
文学者や芸術家を眺めると、自ら命を絶った者が少なくない。芥川は睡眠薬をのんで、太宰は女と川に入って、川端はガスパイプを咥えて、三島は腹を切って。私は彼らの死について、何か一般的な説明をここで与えようとは微塵も思わない。与えうるとも思わない。死は常に個別具体的である。何か普遍的なことが言えるとしたら、ウィトゲンシュタインがすでに語っている。「死は人生のできごとはない。ひとは死を体験しない。」(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』野矢茂樹訳、岩波書店)この人間は死に到達できないという正しい死の描写に対して、死に方は人生のできごとであることを忘れてはならない。
中島敦という文学者があった。明治の末に生まれ、あの戦争のさなか喘息で死んだ。私は彼の文学を読むと、圧倒される心持ちがする。長い間そのわけは判然としなかったが、彼の死の間際に「書き度。書き度。俺の頭の中の物を、皆吐き出して終い度」と言ったのを知り、彼の文学が心を捉えて離さない理由が分かった気がした。彼は情緒の大きな芸術家であった。いかに物をよく観ていたのだろう。いかに不愉快だったろう。
漱石は死の間際に「ここに水をかけて呉れ、死ぬと困るから」と言ったそうである。いかに多くの人間が死ぬと困ると思いながら死んだか。いかに多くの人間が死ぬと困ると思いながら自殺したか。不愉快な我々は、未完成のまま死ぬことさえも宿命附けられているのである。そして私はこういう不愉快や未完成を美しいものと認めたい。
3
「「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。」(『徒然草』西尾実、安良岡康作校、岩波書店)つれづれという語に自らの不愉快を託した兼好もまた、物を観ずにはいられなかったのだろう。この章段を読み返す度に、私は「し残したるをさて打ち置きたる」芸術であるところのギリシア彫刻を思い出さずにはいられない。
先年上野にローマ展があり、友人と足を運んだ。平日であったからかあまり人はいなく快適に諸々の作品を見た。目玉の展示はカピトリーノのヴィーナスで、四方から見えるように八角形の部屋の真中に据え置かれていた。これが西洋の官能であるなら、私には分からないという気がした。私たちは他の作品も高校で勉強した世界史の知識と照らして見ていた。そうして実際、目の前にあるヴィーナスが図版でしか観たことのないミロのヴィーナスに格段と劣っているように思われた。そしてそのわけは、カピトリーノの方が余りに完成され過ぎていた為であった。
完全であれば、美しい。動じないものだけが、美しい。私はこれに懐疑的である。ミロのヴィーナスは両腕の欠けているために美しいのだ。もしミロが完全な状態で見つかっていたら、ミロは今ほど魅力的であっただろうか。
ベルヴェデーレのトルソオを見るたび、自分が詩人に生まれなったことが嘆かわしくなる。獣の皮革の上に前のめりに腰かける筋骨隆隆の男は、腕を含む胸から上と膝下を全て失なっており、殆んど胴体だけになっている。この形となんと美しいことか。ミケランジェロもこれに魅せられ、晩年システィーナの壁にイエスを描くとき、このトルソオに腕と脚を生やし、慈愛に満ちた顔をとり附けた。しかしこのルネサンスの大芸術家を以ってしても、附け足しは蛇足にしかならなかった。
「虚空よく物を容る。」未完成であるからこそ、我々は思い思いに直観することができる。そして直観され、情緒になるがゆえに未完成の學藝は終わらない。そして人生も未完成のまま終わるがゆえに終わらないのである。しかし私たちは決して未完成であるという分からなさだけ故に學藝や人生を直感し、これがわだかまるのではない。
4
不愉快に生きたくないと思う。完成して死んでゆきたいと思う。だからなるべく、自分に直ちに効用のなさそうなものには、観る前から蓋をして、そのままにして置く。こういう態度が、現実として現代に蔓延している。こういう物質的人生への志向は、しかし、どこかで不愉快という現実を拒否できない。死への恐怖は拭い切れない儘である。
一方で、分からぬことを分かったように語る道化も絶えぬ。教室で聴きかっじったことを本当の教養と思っている。語れば語るほど、人から物知りと褒められる。さぞ愉快なのだろう。
「或る現実に無関心でいることは許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されてはいない。」(小林秀雄「様々なる意匠」『小林秀雄初期文芸論集』岩波書店)小林秀雄のこの言葉は対比の不十分さに比べ、決して単なるアフォリズムではなかった。これは小林秀雄という文士の直観そのものであった。彼ほど物をよく観ようとした文学者があっただろうか。しかし私たちは現実に抵抗することも許されている。
社会は諸々の現実を、優劣という強力な時間を用いて組織化する。そしてこういう形で組織された現実から、零れ落ちる現実を嘲笑するのである。そしてあたかも、嘲笑された現実は現実でないかのように扱われる。すなわち、社会は全てを優劣により組織してあるように見せかけ、優劣以外の時間を拒否する。こうして虚像の社会、すなわち世間が出来上がる。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのです
(太宰治「人間失格」『人間失格 グッド・バイ 他一篇』岩波書店)
自己と格闘した太宰のこういう苦しみと、その悲鳴を「ヒステリイ」と嘲笑する事は誰にも許されてはいない。
世間という画一的な時間は嘘である。しかし私たちはこういう時間が唯一の諸現実であると、錯覚してはいないだろうか? 個人の多様な時間が世間という時間と倒錯されてはいないだろうか?
社会が用いる優劣という時間で現実を解釈するのは難しいことではない。確かにこの優劣という時間は嘘ではない。しかし、この優劣という時間が全てであるというのは嘘である。そして、私たちは本来、この嘘を知っている。優劣を効率と考えるのは、現代が経済中心の社会であるからだろう。しかし効率能く生きた先に、生の残っていないことも私たちは知っている。効率を叫ぶ人間も、効率的に生きてはやく三途の川を渡たりたいわけではない。
「あなたは何故こんな無意味な文を書くのか。」
このように問われたら、こう返そう。
「私にとっては無意味ではない。」
平凡にきこえるこの応答には、重要な意味がある。私にとっての意味と社会にとっての意味は異なりうるという当然の現実である。これは私の時間が社会の時間と完全に一致することがないということと同義である。
宮崎駿氏がその作品を通じて私たちに示しているように、生とは、人間に等しく与えられた問いであろう。しかし、この生を合理的な時間で解釈するのは虚しい。いずれ太陽は赤色巨星となってこの地球を呑み込むか蒸発せしめるかしてしまう。その時には私たちが存在していたという記憶までもがなくなる。今私の目に映じているこの全ては、いずれその現在を絶たれることを宿命附けられている。それでも私たちは生きねばならない。このとき、生という問いは等しく与えられているのに対して、応答は個別具体的であることも迫られている。私たちはひとりでこの問いに立ち向かっていかなくてはならない。
牧人はいなくて、畜群だけだ! だれもが平等だし、また平等であることを望んでいる。それに同感できない者は、みずからすすんで精神病院にはいる。
(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳、岩波書店)
社会という参照軸がなくなると、どうしていいか分からなくなる私たち凡人を、ニーチェが「畜群Heerde」と呼んだとき、それは大衆への嘲笑であったか? それとも、孤独の叫びであったか? 彼が晩年に発狂したとき、彼は人間として失格した。しかしその失格という烙印の持ち主は、常に世間である。
不愉快を拒否し、世間に盲従する。こういう現代の現実にこそ、學藝が必要である。そして學藝という、画一的な時間と没交渉な現実との出会いが、必要だと信じている。そして、この思いも寄らない出会いは、直観とともに個人の時間に取り込まれる。そうしてわだかまるのである。
5
ガキに必要なのは恋人じゃない、母親よ。
(庵野秀明脚本・総監督『シン・エヴァンゲリオン劇場版』カラー、二〇二一)
現代人は本来、孤独である。生きていれば様々な問いが浮かびあがって来るのは当然である。しかし、それを考え詰めると自らの身が危ないことも私たちは本能的に分かっているのである。社会の構造への問いの先にあるのは疎外であり、生の構造への問いの先にあるのは精神病院か死である。だから私たちは、不愉快な諸現実から目を背けようとする。問いに蓋をして、考えないようにすることは一種の自衛であって、賢く生きる術であろう。問いが浮かび上がって来ないように、イヤホンを耳に差して聴き慣れた音楽や愉快な談笑を耳に流し込みながら電車に乗り、街を歩く。常に愉快なものに触れていれば、考えずに済む。私はここで、ハイデガーのあのマッチョイズムな主張をする気はないし、する資格もない。自衛と結び附いたコンテンツは、肯定的な経験しかもたらさず、私の存在や行為、枠組みを否定しない「母親」のようなものである。
最近、「令和人文主義」ということばを耳にするようになった。谷川嘉浩氏がつくり出したこの軽薄なことばの意義は、それが何を指し示しているかという区分にあるのではない。「勉強がわるくないのだ。勉強の自負がわるいのだ」(太宰治「如是我聞」『人間失格 グッド・バイ 他一篇』岩波書店)ということばは、文学者の怠慢の表れではない。ソクラテス的反省が若い人びとに欠如していることは問題である。しかし、「領域」横断的な語りの停滞に対する反抗としては、この潮流は支持されなくてはならない。「人文」に領域を設けるというのは本来苦肉の策であったのではないのか。文学者が語り、知識人が訂正するという関係が再構築されるべきなのであって、こちらの専門に口を出すなというのは一種の権威主義、文学の囲い込み、言論統制に過ぎない。「言論の自由を取り去れば、創造能力は干上がってしまう」(オーウェル「全体主義の下で内面の自由があるか」河合秀和訳、『新装版 オーウェル評論集一 象を撃つ』川端康雄編、平凡社)というオーウェルの確信は決して仮定されたディストピアの中にあるのではなく、この連続している現実の中にあるのである。ユートピアもディストピアも、常に現実の重力から脱出することはできない。これらを首肯するべき知識人が、知識の欠如のみゆえに文学を嘲笑するのであれば、彼らは全く言論の自由の騎士ではない。たとえ文学者の発言が「最高存在を理解したといったような宣言」(キルケゴール『死にいたる病』斎藤信治訳、岩波書店)に聞こえるとしても、知識人の役割とはおそらくそれを妄言として嘲笑し、象牙の塔に帰ってゆくことではなく、中味においてGenuineな仕事で以って問題点を指摘することにあるはずだ。「専門化」とは決して語りを縮小するための営みではない。
しかし「令和人文主義」がもし支配的な時間の枠組みの批判に向かわず、「母性的」なエンタメに留まるのであれば、それはまた「創造能力」とはほとんど没交渉の、文学になり切れていない文学である。知識をもたらしてくれるが、私を否定しない。実際、この『學藝』という空間にもそういうものがある。しかしそれは統一された時間を拒否するという、ひとつの無謀な挑戦の上にこの雑誌が成り立っているということであり、これを私は嘲笑しない。ただエンタメと受け取るだけである。しかし私たちの中は、どうしようもなく不愉快に充ち充ちているのであって、そういう現実を前にして令和人文主義者たちは為すところを知らないであろう。
『新潮』二〇二六年一月号に、東浩紀氏の「書くことと壁」という素晴らしい随筆が出ていた。この文章には東氏の等身大の姿が写し出されている。
だれも本など読んでいない。ゲンロンの名前すら知らない。見ているのも数分以下の切り抜きショート動画ばかりだ。
〔中略〕
批評は現実との接触を信じなければ書くことができないが、現実との接触を信じるのであればむしろ本など書かないほうがよい。
〔中略〕
ぼくはそれを理解している。でも心が動かない。ぼくにとって大事なのは書くことだからである。
(東浩紀「書くことと壁」『新潮』第一二三巻一月号、新潮社、二〇二五)
この断片だけで、私たちは東氏がまごうことなき文学者であることを知ることができる。夕方の電車の中でこの文学を読んだ私は、次の小説を読むことができなかった。今でも私の中には東氏のことばが蟠っている。
もう少し「現実との接触」を信じるべきだろうか。しかしそれ以前に文学はやはり、不愉快から出て来るものではなかったか。私の中に蟠る霞は、一向に晴れることを知らない。いくつかは言葉の形を取って外へ出て行こうとする。私の中は余計騒がしくなる。文学とは孤独の叫びであろうか、引用は道化に過ぎないのであろうか。こういう問題より先に、私の愛する學藝はその人の人生、情緒、不愉快、霞を垣間見せている。社会の時間は私の時間と同一ではない。私の時間は、私によってしか完全には救われない。だから文学者と芸術家は孤独だ。こういう単純なことを自覚してなお書くというのは、やはり何かを信じることなのかもしれない。おそらく、文学は何もできないことの方が多い。しかしたった一人だけでも、私の時間の表れた文学を読んで、自らを、社会を、生を考えるかもしれない。このとき、蓋をしていた問いが、次々に溢れ出てくる。人文学も生の構造も、問いの形をとって私たちを無意識の暮らしから意識の奈落へと突き落とす。私の文学は、誰かを孤独に立ち返らせるのだ。私の文学は、誰かを殺すかもしれない。それでも構わず、それでも、書くのだ。
*
私はこれまで、この駄文に様々な現実を提出してきた。しかし現実を提出するために書いたのでは恐らくない。情緒から溢れて来た言葉を、ただ思うがままに書いたのである。Cacoethes Scribendi(書きたがる病)――。この世には、こういう病が無数にあるように観える。つくりたがる病、描きたがる病、歌いたがる病、踊りたがる病、撮りたがる病、演じたがる病。繰り返そう。病という烙印の持ち主は、常に世間である。こういう種々の情緒が立ち現れてくる空間こそ、この『學藝』である。私はここで筆を擱く。この先に起こることに少しばかりの期待をしながら。
さて、君はこの文を解釈するだろうか、直観するだろうか、それとも、嘲笑するだろうか。
読者諸君、応答せよ!